一九七六年五月、カナダの。バンクーバーで開かれた国連の人間居住会議(ハビタット)で採択された人間居住宣言は「人間居住政策における住民参加は人間の尊厳をなすものであり、基本的人権である。それは人間の住む能力を発展させる」といっている。つまり、住民が主権を獲得し、地域社会の主人となることによって初めて、自らが人間らしく住む能力を発展させることができるということである。それを日本のように政府が上からの行政で、また自治体が中央政府の下請けでおしきせの行政等をやり、住民は要求するだけで、しかも意見をいったり反対運動をすると押さえつけるばかりというのでは、住む能力を発展させることにはならない。
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反対運動はエゴだという意見があるが、主権が存在しないところでは、反対や要求ということに終始せざるをえず、一見エゴという形をとらざるをえない。当然のことである。しかしその「エゴ」は、自分たちが地域の主権者になればエゴではなくなって、自ら地域をどう住みよくするかという主体者としての発想に変わってくる。それを通じて住む能力が発展する。どのように土地利用をしていったらよいか、どうしたら居住環境がよくなるか、ということを考えざるをえなくなる。そういう住む能力を発展させる条件をつくっていくことが、国民主体の住宅政策や都市政策、土地政策を展開する条件だと思う。いま、マイホーム主義で家を持つことに汲々としているのは、まさにその逆で、どんなに危険で零細な土地であろうと、持ったということで満足したりしていたのでは、永久に主権者にはなれない。これは居住空間づくりのデモクラシー、その基盤である「土地デモクラシー」というか、地域デモクラシーの問題である。土地を利用する権利と責任を地域の人たちが確立していくことがマイホーム主義から脱却し主体を確立する基礎的条件だという気がする。